アルクェイドが愛について熱烈に語り出した頃、殺人貴はそそくさとレストルームに姿を消した。ちらりと視界の片隅に映り込んだその顔は、もう勘弁してくれ、と言わんばかりに真っ赤に染まっていた。 対して、殺人貴の正面に座る士郎は身動き一つせず、ただ黙って腕を組み瞑目している。アルクェイドの話しに聞き入っているのか、あるいは寝入ってしまったのかは、凛にはわからない。 昔語りが“現在”に追いついた頃、アルクェイド・ブリュンスタッドは、ふっつりと言葉を切ると、懐かしむように瞼を閉じた。 ……腕時計に目をやる。長針は一回りし、彼女が話し始めてから一時間が経とうとしていた。 「……」 凛は話しを終えた彼女に何と声を掛ければいいのかわからず、どういうわけか空いてしまったこの間を持て余していた。そわそわと忙しなく瞳を動かす。 アルクェイド・ブリュンスタッドが歩んできた、平凡では決してあり得ず、また幸福と言うにはあまりにも苛烈な半生。 それを評することが出来るほど、凛は長く生きていないし、また彼女の歩んできた人生を軽く聞きかじった程度である凛に、その資格はない。 ――けど、何か。何か言葉を、彼女に掛けてあげたかった。 『大変だったわね』 違う。 『これからは、きっといい事あるわよ』 違う。そんな言葉じゃない。 だって、そんなの可笑しすぎる。目の前に居る彼女は、こんなにも幸せそうに笑っているんだから――。 「それじゃあ、次は凛の番ね」 沈黙を破るように放たれた言葉に顔を上げる。そこには、真っ直ぐに向けられたアルクェイドの笑顔があった。 「……え? ええ!? どうしてそうなるのよ!?」 思わず立ち上がり、悲鳴を挙げる凛に、 「私ばかり話してもつまらないでしょう。次はあなたたちの話を聞きたいわ」 アルクェイドは真っ直ぐに、期待に満ちた視線を向けてくる。凛はその無邪気な笑顔から、逃げるように目を逸らした。 「だからって、どうして私が……」 しどろもどろになりながら、肩に掛かる髪をくるくると意味も無く指に巻きつける。 ――困ったな。 人差し指に巻きついた黒髪を見つめながら、どうしたものかと考える。 ちらり、と視線を下に向けると、凛が話し出すのを今か今かと待ち受けるアルクェイドと目が合った。 「うっ……」 その期待に満ちた瞳を、凛は裏切れそうに無かった。 ――これだけ聞いておいて、尋ねた私が何も話さないわけにもいかないわよね。 覚悟を決めると、こほん、と咳払いを一つして、ゆっくりと座席に腰を下ろす。 「わかったわ。その代わり、電車が着くまでの間だけね」 不貞腐れたような声で凛が言うと、アルクェイドは目を輝かせながら、何度も頷いた。 ――まったく。 どうかしている。ほとんど初対面の相手……。それも、ついこの間まで殺しあっていたような、人でさえない生き物相手に、身の上話をしようとしているなんて。 それも、昔語り。まるで年寄りじゃないか。少なくとも、後五十年はそんなもの、する気なんて無かったんだけれど……。 けれど。 「……」 刺すような視線を感じて、凛は僅かに首を巡らせた。 斜め前の車両から、険しい目をした士郎が凛を見つめている。 その目は、「余計なことは喋るなよ」と雄弁に語っていた。 ――そんな事知るものか。 じろり、と士郎を睨み返す。 ――その様子じゃ、あんたも聞いてたんでしょう? 等価交換が魔術師の原則。礼には礼を持って返すのが日本人だ。文句があるなら直接言いに来い。 「そうね。あれは今から七年前。ある冬に起きた、古い儀式のある顛末――」 お決まりの語り口で話し出す。 それは、自分でも驚くくらい滑らかな語り出しだった。 アルクェイドの焦がれるような話に、興が乗ったのかもしれない。 偶には自分語りだって、悪くないような気になってくる。 ――それに、自慢じゃないが、私が過ごしてきた半生だって、それなりにドラマチックで……。 ほんとうに。 ほんとうに、いろんなことがあったんだから――。 足元までをすっぽりと覆うほどの漆黒のローブを小さく丸まった背に羽織り、ずるずると裾を引き摺るようにして、老魔術師は目の前に広がる空間に進み出た。 唯一、大気に晒されているフードの下で、皺くちゃの褐色の頬が喜悦に歪み、強い意思を秘めた双眸がせわしなく蠢く。 「――なんと。なんとこれは。これほど巨大な空洞が、古より誰の目にも触れることなく存在していたとは。――なんたる奇跡! 人間が積み重ねた文明など、神秘の前では塵芥に等しいわ」 長く続く洞窟を抜けて辿り着いたそこには、直径数キロにも及ぶ広大な空間が広がっていた。 夥しい量の木の根が絡まり、頑強なドームを形成して、天蓋のように空間を覆っている。 老魔術師にはそれが、この世に数多建造されているどの建造物よりも輝いて見えた。 それは老魔術師にとって、長らく夢想した悲願の一つが、叶った瞬間だった。 無数の木の根で編まれた、巨大な地下空洞。その中央には、小さな祭壇が設けられている。 「これが、 未踏の地を踏み荒らす興奮と征服心。そして、僅かな畏怖を孕んで、老魔術師“ヴァルナ・ラマヌジャン”は細い声で呟いた。 「なんと素晴らしい!」 歓喜の声を挙げ、神を崇める信徒のように天を仰ぎ見る。 細く短い無数の木の根が、僅かな隙間も無く精密に編み合わさり、巨大な空洞を支えている。だというのに、天井からは薄く柔らかな光が漏れ、空洞を余すことなく淡い光で照らし出している。 なんと摩訶不思議な光景か。 感動を禁じえない。同時に、 ――まさか辿り着いてしまうとは。 畏れに身を震わせながら、ヴァルナは自身をこの地へと導いた月蝕姫を想い、苦々しく顔を歪めた。 これほどの偉業、成果をこの身一つに受けることが出来れば、どれほど心が満たされたことだろうか。 老魔術師は臍を噛む。今や自由の利かない、うだつの上がらぬ下僕と化したこの身が、狂おしいほどに口惜しい。 今は遥か東欧での儀式を思い出す。 山一つを荒野と化した、あの忌まわしい儀式を……。 「荷が重すぎたな。魔術師。この惨状の責任、貴様はどうとってくれる?」 辿り着いた世界の果てには、一人の少女と、白く眩い巨大な獣が立っていた。 それを前にした瞬間、ヴァルナは目の前に立つ獣がどういう存在なのかを悟った。理性的な知識による裏づけがあったわけではない。 遥か昔より、生命の遺伝子の奥深くに刻み込まれた原初の記憶が、本能的にそれが何なのかを彼に悟らせた。 襲い来る虚無感の中、ヴァルナは静かに死を覚悟した。 これがここに居るということは、紛れも無く儀式が失敗した証明。魔術師は、これを欺き、逃げおおせるため、数々のアプローチを試みて世界の果てを目指すのだから。 出会ってしまうということは、即ちその身の破滅を意味する。 しかし、膝を折り空を見上げる老魔術師に、“怪物”の横に佇む少女は言った。 「やはり儀式は失敗したな。……媒体に使った神秘は砕けたか。惜しかったな。その修復に費やした年月は百や二百ではあるまい」 それは、哀れむような口調だった。しかし、その声はどこか軽薄で、失敗した彼を蔑んでいるようにも聞こえる。 「失敗した、だと?」 ヴァルナの心の中で何かが弾けた。 「何故だ! 何が間違っていたというんだ!? 私は、完璧にやり遂げたはずだ!」 一瞬遅れて襲い来る、疑問と怒り。失敗した事実に対してではない。ヴァルナは、自身が何故失敗したのかがわからないことに、堪らない怒りを覚えていた。 それも当然。この魔術師がその生の中で、一番敵視したのが「何故」という純粋な疑問だったのだから。 だというのに、この最期の瞬間、人生の集大成を掛けて挑んだ儀式が何故失敗したのかという理由も解らないまま、彼は生を終えようとしている。それはヴァルナにとって、最も耐え難い屈辱だった。 「何故だ。何故、儀式は失敗したのだ。何故だ、何故だ、何故だ……! 何故私の人生は失敗した……!」 「ふん。そんなに気になるか。……では、私が教えてやろう」 絶望の淵で頭を抱える老人に、少女は絶望に忍び寄る悪魔の様な甘い声で囁いた。 「この儀式において、貴様に落ち度は無かった。だからこそ、唯一生き残ったのだろう。……落ち度があったのは、今は亡き三人の魔術師どもだ」 「なん、だって?」 年端も行かぬ少女を縋るように見上げ、ヴァルナはその声に聞き惚れるように、耳を傾けた。 「儀式に際し、貴様は純粋に根源の到達を目指し、聖杯を求めた。しかし、他の魔術師共は違ったのだ。聖杯を手に入れ、自らが神秘と成ることを願った」 「馬鹿な……! そんなはずはない! 我が同士は誇り高き魔道の探求者。聖杯に求めるのは神秘への、」 「初めは純粋に根源への到達を願っていたのだろうな。だからこそ、貴様は彼奴らを同士に選び、そして一時的とはいえ、“聖杯の召喚”にまで辿り着くことができた」 だが、それからが巧くなかった。 と、少女は嗤った。 「聖杯の威光と絶大な力を前にして、魔術師としての装飾が剥げ落ちたのだろう。“この世の限りの富”、”揺らぐことの無い名声”、“絶対的な権力”。それら全てが手に入る段になって、それらを手に入れた自身の姿を夢想して―――。彼奴らは全てを残してこの世界から消え去るのが耐えられなくなった。―――だから、『抑止力』が働いたのだ」 「……!」 『抑止力』その言葉に、ヴァルナは心の底から冷え切ってしまうような悪寒を感じた。 「何故、貴様にそんな事がわかる!? 我が同士を愚弄するとは、何の了見があってそのような知った口を」 そこまで一気にまくし立てて、ヴァルナはふっつり、と言葉を切った。 ここに来て、ようやく彼の冷静だった部分が働き出した。このような状況で理性的な意識を取り戻せる事が、彼が優秀な魔術師であることを示している。 「……いや、そうだったな。貴様は……」 年齢の割りに生気に満ちた双眸が、少女を貫く。少女は可憐な花のように笑った。 「我が名はアルトルージュ・ブリュンスタッド。血と契約の支配者。……事の顛末を知っているのは、この子が教えてくれたから」 そう言って、少女は傍らに立つ巨大な獣の喉元に手を伸ばした。 「それに、消えた魔術師共が守護者に挑み、破れていく様も見ていたからな。あれは本当につまらない劇だった」 そう言って、死徒の姫は本当につまらなさそうに息を吐いた。 「――なんと無様な最期だ。魔術師でいることに耐えられなかった、今や同志と呼ぶにも口惜しい愚昧達に足を掬われるとは」 怒りと後悔に身を震わせ、魔術師は消失した三人の魔術師を呪った。 もう終わりだ。 ヴァルナは頭を抱え、その場にへたり込む。辺りに広がるのは何も無い荒れ果てた荒野。近くには小さな町もあったはずだが、今ではその欠片一つ捜すことも適わないだろう。 「何を言っている。魔術師。古来より“聖杯”とはそういうものだ。人を狂わし、その手をするり、とすり抜けていく。だからこそ、貴様はそれを手に入れることを望んだのだろう?」 ……確かに、そうなのかもしれない。古より伝わる書物には、聖杯を求める者たちが、聖杯を手にする刹那、心の内に湧いた欲望に足を掬われ、栄光を逃す姿が幾度も描かれてきた。 あるいは、それこそが“抑止力”と呼ばれる見えざる怪物の仕業なのかもしれない。 「……礼を言おう。アルトルージュ・ブリュンスタッド。疑問が晴れた。――吸血姫よ。我が死をもって償いとさせてくれ」 その声に、先ほどまで溢れていた生気は無かった。罪人のように跪き、吸血姫の審判を待つ。 「……貴様は何か勘違いをしているようだな」 しかし、頭を垂れる老魔術師に、不機嫌そうな声で少女は言った。 「私はお前を殺すためにここにいるわけではない。死にたいというなら、好きにするがいい」 何もかもを見放すような、冷たい声が荒野に響く。ヴァルナは呆気に取られた様な顔で少女を見上げ、次に救いを求めるようにその皺くちゃの顔を歪ませて、 「このまま生きていても仕方が無い。頼む、死徒の姫君。この哀れな人間に死を与えてやってくれ」 そう言って、再び静かに頭を垂れた。 望みは絶たれた。ならば、生きている意味など彼には無かった。 「貴様はここで諦めるのか? 聖杯を一時ながらも手中に納めておいて、このままおめおめと死ぬというのか?」 跪く魔術師を鬱陶しそうに見つめて、アルトルージュはその小さな白い耳にかかる長く滑らかな髪をそっと掻き揚げた。 跪くヴァルナを、首を傾げ、暫し不思議そうに見つめていたかと思うと、 「何故そうも落ち込んでいる。もう一度貴様だけで儀式をやり直せばいいだけではないか」 何とも暢気な口調で、言った。 「また二百もの歳月を、聖遺物の修復に費やせと? 不可能だ!」 悲壮感の漂う声で、ヴァルナが叫んだ。 「二百? そこまでは必要あるまい。お前は、その術を知っているのではないか?」 「……!」 さも当然、と言った様子で言い放つ吸血姫の様子に、ヴァルナはびくり、と体を震わせ、視線を落とした。 「……無理だ。そのような事、私には」 「私が力を貸してやろう」 すぐ耳元で甘い声が響き、ヴァルナは恐る恐る顔を上げた。そこには、柔らかな微笑を浮かべて手を伸ばす少女の姿があった。 「必要とあらば我が従僕も貸してやる。聖遺物が修復した暁には、貴様を根源へと送り届けてもやろう。その代わり」 蕩けるような甘い声で、 「私に忠誠を誓え。我は血と契約の支配者。対価と引き換えに、その望みを叶える者」 ――アルトルージュ・ブリュンスタッドは聖杯を手に入れた瞬間、きっと私を殺し、自身の願いを聖杯に求めるだろう。あの吸血姫の望みが何かは知らないが、“ガイアの怪物”を従えている彼女ならば、万に一つも失敗は有り得まい。 しかし。 ここで彼女の申し出を断れば、私に待っているのは破滅だ。全ての希望も重ねてきた歳月も水泡に帰し、魔術協会には、これほどの被害を出した責任を問われ、現在の地位さえ剥奪される。 「誓おう、姫君」 目の前には、神秘へと至る道が伸びている。 そこに手を伸ばさなくて、何が魔術師か。 この身の絶望も、破滅も知ったことか。 聖杯は目の前にあるのだ。ならば、私は奪われる側ではなく、奪う側に就こう。神秘に手を伸ばそう! 「アルトルージュ・ブリュンスタッド。貴女に忠誠を」 少女の手を取り、その甲に口付けを交わす。少女はそれを拒まなかった。 こうして、私は人間を裏切り、悪魔の誘いを受け入れた。 「どうだ? 魔術師。首尾の方は?」 「……これはこれは姫君。このような場所までご足労頂かなくとも……」 背後から掛けられた少女の声に、ヴァルナは屈辱と怒りに歪んだ顔を、目一杯の笑みに貼り変え、今気付きました、と言わんばかりに大げさな動作で振り返った。 「気にするな。好きで来ただけだ」 そう言って、アルトルージュ・ブリュンスタッドは口元に冷笑を浮かべた。 ――まるで犬のようだ。 ヴァルナは自身の首を絞め殺したくなるほどの屈辱を感じながらも、その感情をおくびにも出さず、へらへらとへりくだるような笑みを浮かべた。 それを見て、アルトルージュ・ブリュンスタッドは満足げに腕を組むと、大きく一度頷いた。 「ふふん。大望の成就を前にしては、玉座でふんぞり返っているのも大儀でな。……して、どうだ。貴様の見立てに狂いはなさそうか?」 「ええ、もちろんでございます。これを見て、自身の理論が磐石のものであることを確信致しました」 へりくだるような笑みを張り付かせたまま、魔術師は答えた。しかし、そこに僅かに浮かんだ不服の色を、アルトルージュは見逃さなかった。僅かにその形の良い眉を上げ、 「ほう? それは頼もしい。お前ほどの魔術師の前では、このような疑問さえ愚問と化すか」 僅かに鼻白んだ様子で、首を傾げる。 「い、いえ! 滅相もございません!」 「……ん? そ、そうか」 勢い込んで否定するヴァルナの様子に、アルトルージュは僅かにたじろぎ、目を白黒させ、 「ええ、勿論で御座います。我が麗しの姫君。あなたに問われれば、あの忌まわしき陽光さえも、歓び勇んで世界の真理を語り出すでしょう。……愚問などと、想像させることさえ罪でございます」 朗々と歌い上げるような台詞回しに背後を振り返ると、そこには真紅の外套を羽織った大男が立っていた。 「貴女の白騎士。フィナ=ヴラド・スヴェルテン、召喚に応じて馳せ参じました」 姫君の手をとり跪くと、白騎士は恭しく頭を垂れた。 「ご苦労だったな。フィナ」 「いえ、姫様の頼みとあれば」 跪いたヴラドは、親愛の篭った瞳で少女を見上げ、静かに目を伏せた。そして、 「――姫君の問いを愚問などと退ける罪人は、このフィナめが一刀の元に斬り捨ててご覧に入れましょう」 「ひぃ……!?」 顔を伏せたまま、鋭い眼光でヴァルナを一瞥した。その目には、隠しようも無い敵意……否、殺意が浮かんでいる。 ヴァルナの背中を、冷たいものが伝っていく。呼吸さえも侭ならない程の重圧を感じて、逃げるように二人と距離をとる。 そんな事を露とも知らぬアルトルージュは、ヴァルナの様子に訝しげに首を傾げたが、すぐに自身の従順な騎士に向き合った。 「して、準備は終えたか」 「は。万事滞りなく。抜かりなく支度しております」 その言葉に、アルトルージュは満足げに頷くと、頭上に犇く、無数の木の根で編まれた天蓋を見上げた。 「……して、姫君。もうまもなく、真祖の姫君とその護衛がケミに到着するようです」 ヴラドの言葉に、アルトルージュは静かに視線を下げた。どこか遠くを見るような目で、巨大な空間の一点をじっ、と見つめ、 「そう。それは良かった。思ったより早かったわね」 そして、次の瞬間、にこり、と白百合が揺れるように、優しく笑った。 年相応の少女のように笑う月蝕姫に、ヴァルナは思わず見惚れてしまっている事に気づく。それは、何と無垢で穢れの無い笑みであったことだろうか。 「メレムの手引きね。今度お礼を言わないと」」 くすり、とアルトルージュは嗤う。そこには既に、あのどこか蠱惑的な嘲笑が浮かんでいた。 「全ては予定調和。事態は私の手の中から出たことなんて無いんですもの」 そう言って、白魚の様な手を頭上に掲げた。 天蓋を構成する無数の木の根の隙間から、薄い光が漏れている。おかげで、広大な空間内は明かりを灯さずとも視界に困る事は無かった。 もっとも、この場にいるのは皆、例え暗闇の中でも視界に困るような真っ当な生き物でありはしないのだが。 「高貴で可憐な姫君の前では運命さえもが道を開けるでしょう。このフィナめに何なりと申しつけ下さい。この、あなたの従順な下僕に。……して、あのエミヤも付いてきているようなのですが、これは如何致しましょう? 姫君」 「捨て置け。門番はお前がやるのだ。何を憂うことがあるのだ? 白騎士」 じろり、と睨みつけるように、アルトルージュは白騎士を見下ろした。 「いえ、では、私の裁量で決めてもよろしい、ということで?」 「くどい。好きにしろ」 その言葉に、ヴラドの顔に薄い笑みが浮かぶ。 「は。ではそのように致しましょう。――ロブ、出番だ」 そう言って、ブラドはこの広大な空洞の中で唯一、僅かに枝葉の陰になっている場所に向けて声を上げた。 「……」 「貴様の力ならば、ヴォロゾフの敵を討つことができる。――契約を果たせ」 ばさり、 ヴラドの漆黒の外套が翻る。裏地の血のように鮮やかな朱が流れる。それは、大隊の指揮官の威風であった。禍々しくも力強い瞳。臆することなど無い、と言わんばかりの堂に入った身のこなし。彼が一国の王であると言われても、ヴァルナは何の疑問も抱くまい。 しかし、 「全ては、我が姫君の望みのままに!」 彼は、年端も行かぬような姿の、一人の少女の従僕なのだ。 オォォウ、 獣のような声が、暗がりに響く。 その咆哮は、ヴラドの声に応えているようにも聞こえた。 暗く、陽の光も届かぬ暗がりの中で、ロブは身を貫くような痛みに呻きながら、怨嗟の声を上げていた。気が触れてしまいそうな痛みが、引き攣ったように顔を歪ませる。 ……いや、あるいは彼は、既に狂ってしまっているのかもしれない。 それでも、ロブは憎しみを糧に魂を燃やし、更なる力を貪欲に欲する。 「殺してやる、殺してやる、殺してやる……!」 うわ言の様に執拗に繰り返されるその呟きは、闇から漏れる間もなく溶けて消え、誰の耳にも届くことは無かった。 |