6.死街 V




「あー……。こんなところに隠れていたとはなぁ。町中探しても見つからないわけだ」
 茶褐色の長髪を掻き揚げながら、男は苦虫を噛みつぶしたような顔で呟いた。
 男の眼下には、こぢんまりとした古めかしい建物が建っている。
 白いレンガを緻密に積み上げて作られたそれは、サイコロの形によく似ていた。この地方では珍しい平らな屋根。サイコロの一面に、雨よけのついた木製の入り口が突き出すようについている。苔が蒸した石壁は、この建物が長い年月を経てきたことを物語っていた。
「これが礼拝堂ねぇ?とてもじゃないが、そうは見えないわな」
 どこか厳しい雰囲気を醸し出した建物ではある。しかし、それは一般的に言われる礼拝堂とは似ても似つかない形をしていた。少なくとも、屋根の上に十字架が掛けられていないから、基督系に属する物ではないのだろう
 窪地に作られているため、屋根が随分と低く感じる。
 建物のすぐ近くには、緑の葉を茂らせた、背の高い広葉樹がぐるりと建物を囲むように植えられている。
「――なるほど。これじゃあ空からは見えんわな」
 この辺りの植生は針葉樹がほとんどだ。不自然に並んだ広葉樹は、町の人間が植えたものだろう。
 随分と手が込んでいる。男はイラついた様子で舌を鳴らした。町の外れに建てられていることといい、窪地を選んで建てられていることといい、この建物の存在を故意に隠しているとしか思えない。
「ってことは、もしかして当たり?」
 石造りの階段に足を伸ばす。二十段ほどの急な下りの石段は、礼拝堂の入り口まで続いていた。
「まぁ、期待してないで行きますか……」
 気だるい足取りで、石段を降りていく。
 その先には、重厚な一枚板で作られた大きな扉が、硬く口を閉ざして立っていた。扉の上にはブロンズのレリーフが、無頼な訪問者を威嚇するように掲げられている。
 男は僅かに顎を上げると、レリーフに描かれた図柄に目を凝らした。
「ん? あれは確か……」
 人という字を縦に三つほどつなげ、頭に矢尻をつけたような文様。
 男の三日月の様な口元が、邪悪に吊り上がる。
「ビンゴ。……ひははは!ツイてるぜ!」
 獰猛な牙を剥き出しに、男は一足飛びに階段を飛び降りる。長い石段を数瞬で飛び越えると、そのままの勢いで頑丈な扉を蹴破った。
 中から掛けられていた閂ごと、重厚な扉が吹き飛ぶ。
「――さて、仕事の時間だ。食事の時間だ。虐殺の時間だ。どれも一度に短く済ませちまおう。ああ、楽しい! 生きてるっていいなぁ、おい!」
 爛々と目を輝かせ、男は大仰に呟くと、軽い足取りで礼拝堂の中へと踏み込んでいった。


※     ※     ※


 小さな礼拝堂の四隅で、小さな蝋燭が燃えている。室内は最低限の灯りがあるのみで、非常に薄暗い。
「といっても、吸血鬼にとっては些細な問題だぁな」
 薄暗い室内には、生き物の気配で溢れていた。隠れているつもりだろうが、こちらは一匹たりとも逃がしてやるつもりは無い。ふと、誰かが忍び寄る気配を感じ取って、無造作に刃物と化した両腕を振るう。
「――ぃ、ひゃ」
 鉈を振り上げ襲ってきた屈強な男は、数瞬で綺麗な三枚下ろしになった。
 調子は悪くない。いい感じだ。む、殺気。
 ヒュッ、
 続けて、鉈男の後ろにいた二人の首を一息で跳ね飛ばす。
 倒れいく男達。手に持った散弾銃が、無差別に虚空を撃ち抜いていく。ここまで3秒とかかっていない。良いタイムだ。思わず自分で感心してしまう。
 さて。あともう一人。
「あん?」
 思わず声を上げてしまう。
 最後の一人。猟銃を持った男は、目を見開き、呆然と倒れた仲間達を見下ろしたまま立ち尽くしていた。
「……はぁ」
 あまりの無様さに呆れてしまう。これではまったく歯ごたえが無い。いや。そもそも、銃を撃つなら、扉を突き破った時点で撃たなければならなかっただろうに。まぁ、どちらにしろ無駄だけどな。
「残〜念。次第点以下だよ、お前ら!」
 震え、立ち尽くす男の両肩を掴むと、力任せに引き裂く。
「――ぃ、ぎゃあぁぁぁ!!」
 男は、よく聞き取れない声で何事かを叫ぶと、一瞬で肉塊と化した。
「はい、一丁上がり。温いねぇ!なんて脆いんだ。なぁ、人間」
 斬り落とされた右腕がミシリ、と軋む。
「ぅおっと。わかってるっての。がっつくなよ。さっきだってあんなに食ったろ?」
 蠢く右腕をあやしながら、礼拝堂の奥へと進んで行く。すると、祭壇の横で、やけにだぶついた装飾過多な服を着た爺さんが、羊のようにガタガタと震えていた。
「あんたが司祭サマ?」
 声をかける。
 恐怖で震える身体を抑えようともせず、爺さんは大きく頷いた。
「おお、良かった。今殺したやつの中に司祭サマってのがいたら、どうしようかと思ったぜ。ちょっとあんたに聞きたいことがあって来たんだけどよ……。あ、イカした服着てるね。どこで売ってるのそれ?」
「ひぃ……! もう止めてくれ! この村の人間が何をしたって言うんだ!? ああ、こんな恐ろしいこと……」
「おいおい。少しは落ち着けよ。ぶっ倒れちまうぞ? こっちは聞きたいことがあるんだ。……あんたが倒れたら、奥にいる子供たちが大変なことになっちゃうぜ?」
「な……ッ!!」
 驚きと恐怖に限界まで目を見開く司祭。
 なんだ?この俺が祭壇の下に隠れているガキ共に気付いていないとでも思っていたのか? ちょっとショック。あまり舐めないで欲しい。
「あ、悪魔め……!」
 ヒューヒューと荒く息をつき、唇をわななかせ、怒りを露にする司祭。怒りからか恐怖からかはわからないが、真っ赤な顔でぶるぶると震えるその様は、笑い出してくなるくらい愉快だった。しかし、心拍数が人間の限界値まで吊り上っている。この分じゃ、失神するのも時間の問題だ。それはちょっと不味い。
「おいおい、待てよ。失神されると、こっちとしてもいろいろと――」
「私達に、一体何の罪があるというんだ!?」
「だから、落ち着けって。お前に気を失われると―――」
「私は死んでも構わない! しかし、子供達だけは――。ひ、ぐぁああ――!」
 祭祀の腕が宙を舞う。
「うるさいよ、黙れよ、ジジイ」
 翻った爪から真っ赤な鮮血が滴り落ちる。
 人が話してる最中になんで喋るかな。なに、こいつ。死にたいの?
 ずるずる、と床に座り込む司祭。その哀れに歪んだ顔の横に蹴りを入れる。
「食材が勝手に喋るなよ。俺さ、急いでるんだよね。あんまり遅いと兄貴に怒られるだろ?」
「ック……貴様!! 私が死ねば聞きたいことは、永久にわからないままだぞ!?」
 切り落とされた腕を押さえながら、憎悪の篭った瞳で俺を睨みつける司祭。いいねぇ。怒りに燃えた瞳が超クール。
「は――好きにしろよ。けどさぁ、」
「私は絶対に何も話したりは……ぐッ!」
 囀る口を、手の平で塞ぐ。
 念願の餌を前にして、抑えていた右腕が暴れだす。
 だけどまだだ。まだ殺しちゃいけない。
 そうそう、楽しみは後にとって置きましょうね。
「無駄だと思うぜ? だってほら、」
 覗き込むように顔を近づける。瞳を合わせると、極上の笑みを口元に貼り付け言った。
「――俺って悪魔だから」
「ひぃ!?」
 蛙が踏み潰されたような声を上げる。人がにっこりと微笑んだっていうのに、失礼なやつだ。
「何だよ。変な声出すなよ。傷つくぜ。――さて、それじゃぁ、」
「……!!」
 ゆっくり、しっかり。質問に答えて貰いますか――。
「単刀直入に聞くぜ。―――答えろ。『ヒーシ』はどこにある?」

 吸血鬼の瞳が怪しく光る。
 次の瞬間、司祭の意識は深い海の底に沈み―――二度と、帰ってくることは無かった。



※     ※     ※



「――見つけた」
 森の中に隠されるように建てられた建物の前で、私は小さく呟いた。
 破られた扉の向こうからは、咽返るような血の匂いが漂っている。吸血鬼はこの中だ。
 銃を構えて中へと踏み込む。そこには夥しい量の血の池が広がっていた。
「ん? 誰、お前?」
 肉と骨と血液に染まる礼拝堂のカーペット。並ぶ木椅子。その奥、一段高く据えられた祭壇の手前から、ひょっこりと一人の男が顔を出した。
 口を真っ赤に染めた、茶髪の男。
「うぉ!」
 銃弾が、男の顔を掠める。
「躊躇いなく発砲かよ。危ないぜ? お穣ちゃん。怪我するぞ?」
 からかう様に男が笑う。その目は微塵も笑っていない。間違いない。コイツだ。
 続けて、微塵の躊躇も無く引き金を引く。
 三発の銃弾が白銀の銃身から撃ち出された。男の脳天に向かって一発。心臓に向かって二発。
 しかし、
「よ、と――」
 寸分違わず発射された弾丸を、男は体を捻り、僅かに半身を動かすだけで完膚なきまでに躱しきって見せた。
「……っ!」
「ひゃははは!やっぱり脆弱だねぇ、人間は」
 男が嗤う。
「この弾、いろいろ弄ってあるみたいだけどなぁ。当たらなきゃ意味無いぜぇ?」
 そう言って。ほら、と人差し指と親指で摘むように持った弾丸を掲げて見せる。その指からは、細く長い煙が上がっていた。神に祝福された弾丸に触れたことによって、吸血鬼である男の肉が爛れているのだ。
「弾丸を素手で止めたって言うの……?」
 あまりの出鱈目に、眉を顰め、思わず呟く。
 それは怖れではなく、嫌悪に近い感情。
「はぁ? ひひひ、ハハハハ!」」
 上体を反らせ、男は腹を抱え笑った。赤い瞳が爛々と狂気を湛えている。男はひとしきり笑うと、
「いいねぇ。その顔」
 おぞましいほど醜悪さで、舐めるように私の身体を見回した。
「俺には発砲音と、弾丸が空気を切り裂く音で、弾丸の軌道が読めちまうんだよ。百回撃ったって当たりはしねぇよ。ひひ、堪んねぇよなぁ」
 赤く濁った瞳を細め、獰猛な獣のように唇を吊り上げる。
「どうかしら? やってみないとわからないわよ」
「ククク、いいねぇ。その目。強気な女は嫌いじゃないぜー? 一晩相手してくれたら、見逃してやってもいいぞ?」
 銃の照準を再び、男に合わせる。
「冗談。反吐が出るわ」
「ふん、そうかい。……ところでお前、代行者か?」
「? いいえ」
「そうか。どうりでな。そんな弱いヤツが代行者なわけが無いか」
 男は、ほっとしているうような、がっかりしているような、何ともいえない顔をした。
「代行者じゃなくて残念?」
「別に? 逆に綺麗な女で嬉しいくらいだ。その澄ました顔もそそるぜぇ。――犯しがいがある」
「……黙りなさい。この下衆野郎」
 じりじりと、ゆっくりと男が距離を詰める。私は男に照準を合わせたまま、微動だにしなかった。
 沈黙。
 僅かな逡巡の後、私は銃の引き金を引いた。その瞬間、
「!」
「ひゃ――――っほう!!」
 奇声を上げながら、男は私に飛び掛かるように跳躍した。
「――!」
 なんて愚か。自分から弾丸に飛び込んでくるなんて。それに、一度跳躍すれば続けてくる二射も避けることはできないだろう。
 しかし、必中を確信した弾丸は、
「――ひゃァ、ハ――ッ!」
 空中で身を捻った男の頭を紙一重で過ぎて言った。
 何て反射神経。これはもう風を切る音とか、そういう次元では――。
「――!」
 引き金を引く。急激な動きにシリンダーが軋む。しかし遅い。照準が追いつかない。弾丸の軌道の先には既に男の姿は無かった。
 男の手が私の外套を掴む。勢いそのままに、私は男に床に押し倒された。
「捕まえた」
「……っ!」
 強かに背中をぶつけ、私は思わず顔を顰め。
「そうそう、言い忘れてたけどなぁ。吸血鬼は動体視力も半端ないんだぜ? 銃身と銃口の位置さえ見えていれば、弾丸の軌道を読むなんて朝飯前さ。お穣ちゃん。吸血鬼狩りは初めてかい?」
 私を組み敷くように馬乗りになった男が、見開いた赤い目をギラリと光らせる。肩を掴む手に、凄まじい力が篭められる。
「……ぃ、た!」
 ミシリ、と肩の骨が軋んだ。男は下卑た笑いをその顔に貼り付けると、真っ赤な舌を出して嬲るように私を見つめた。
「さーて、どうやって楽しもうかねぇ?」
「――いいから早く手をどけなさいよ。下衆野郎。服が汚れるでしょう?」
「ひひひ。この状況でもその強気か。これは、先が楽しみ」
 だ、といいかけて。
「あ?」
 男は、ようやく自身に起こった異変に気づいた。
 酷く鈍間な動作で、太ももに突き刺さった短剣を呆然と見つめる。
 次の瞬間。
Ein KOrper ist ein KOrper 灰は灰に    塵は塵に―――!」
 詠唱と共に、瞬間的に魔術回路に力を注ぎ込むと、私は一気に魔術を発動させた。
 男に突き刺さった短剣から、血よりも鮮やかな紅の炎が吹き上がる。
「ぎ、ギャアァァァァァァ!?」
 反射的に後方に飛び上がると、男は床を転げまわり、体を舐めるように駆け上がる炎を消そうともがく。しかし、
「無駄よ。これには予め秘蹟を付加しておいたから。威力は地味だけど、この炎はあなたを焼き尽くすまで消えはしない。実際、魔術の知識も持たないあなたが、これを消すのは不可能でしょうね」
「こ、の女アァァァァ!! 貴様ぁ、魔術師か!」
 炎に身を焼かれながら、男が叫ぶ。私はただただ、無表情にその様子を観察する。
「今頃気付いたの? ただの女がこんな物騒な銃、持ってるわけがないでしょう?」
 白銀の銃身が蜀台の蝋燭に照らされて鈍く光る。
「――さぁ、報いの時間よ。塵は塵に帰りなさい」
「うおおおおぉぉぉぉあああああ!」
 炎は頭頂部にまで達していた。何度か振り払うようにもがいていたが、炎が消えるわけがない。男は身体を沈めると、一気に跳躍した。ガラスの割れる乾いた音。採光窓を突き破って逃げ出したのだ。男の絶叫と、駆ける足音がゆっくりと遠ざかっていく。
「――、」
 一瞬、このまま追おうかどうか考えたが、諦める。吸血鬼が本気で逃走に入ってしまえば、私には追いきれない。
 ……不覚。引き金を引くのが間に合わなかった。
 銃身を下ろす。まあいい。どのみちあの吸血鬼は助からない。ゆっくりと、その身を劫火に焼かれて滅びるといい。
「それで、あの親子や、この町の人たちが生き返るわけではないけれど……」
 それでも、手向けにはなっただろうか?無念を晴らすことが出来ただろうか?
「さぁ、もう平気よ」
 祭壇へと向かって話しかける。
 私が声を掛けると、中からおそるおそるといった様子で、小さな六人の子供達が飛び出してきた。
「大丈夫?」
 出来るだけ、優しく声をかける。
 駆け寄り、泣きじゃくる子供達。私は外套で包むように、子供達をあやしつける。もう大丈夫、と。
 祭壇の下に視線を落とすと、そこには既に事切れた白髪の老人が倒れていた。
 一人の女の子が、老人の引き裂かれた上半身に縋って泣いている。おじいちゃん、起きてよ。ねぇ、たすかったんだよ。
「ああ、まただ」
 冷たい金属音。構えた銃身が僅かに揺らぐ。
「ごめんなさい。……助けられなかった。けど、この子供達は死なせたりはしないから。だから」
 安心して眠ってください、と。私は銀の銃弾を彼の頭に撃ち込んだ。


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